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東京地方裁判所 昭和45年(ヨ)2214号 判決 1971年10月27日

申請人 寺尾鉄三

被申請人 東洋埠頭株式会社

主文

本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

(申請の趣旨)

被申請人が申請人に対し昭和四四年一二月一日付でした転勤命令の効力を仮に停止する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(答弁)

主文同旨

第二当事者の主張

(申請の理由)

一  当事者と本件転勤命令

被申請人は肩書地に本店を置き、川崎、東京都晴海、同豊洲、大阪、博多および新潟に支店を有し、倉庫業、港湾運送事業、通運事業その他これに付帯する業務を営む株式会社であり、その従業員数は、現務員と呼ばれて現場作業、雑役等に従事する者約一八〇名を含めて、約七〇〇名である。

申請人は、昭和二八年三月工業高校を卒業し、同月一七日被申請人に雇傭され、昭和四一年一月一二日まで川崎支店運転課において橋型起重機運転士として(その間昭和二九年九月には橋型起重機運転士免許を取得)、その後同支店内工務課所属の橋型起重機検査係として勤務していた。

ところで被申請人は申請人に対し、昭和四四年一二月一日付で、新潟支店営業課に電気機械関係の責任者として転勤を命ずる旨の命令(以下本件転勤命令という。)を発した。

二  しかし本件転勤命令は、次に述べる理由により無効である。

(一) まず右命令は、労働組合法第七条一号、三号の不当労働行為に該当する。

1 申請人の組合活動

申請人は、被申請人の従業員をもつて組織する東洋埠頭労働組合(以下単に組合ということがある。)の組合員として、組合の役職を歴任し、熱心に組合活動を行つた。

すなわち申請人は、入社直後に組合に加入し、組合の川崎支部(以下単に支部ということがある。)に所属して、昭和三〇年四月に支部機関紙「あゆみ」の創刊に際し編集委員として関与して以来現在まで、昭和三五年度は支部執行委員(会計担当)、昭和三六年度は支部執行委員(会計担当)兼中央委員、昭和三七ないし三九年度は支部書記長兼中央委員、昭和四〇、四一年度は支部長兼中央委員、昭和四二年度は本部教宣部長、昭和四三年度は支部書記長兼中央委員、昭和四四年度は本部教宣部長を歴任して長年支部の活動に重要な役割を果してきたが、本件転勤命令当時は、支部書記長兼中央委員の要職にあり、かつ川崎支店担当の現務員組織化専門委員会委員であつた。

2 川崎支部の重要性

組合の川崎支部は、昭和四〇年一〇月現在、組合員総数約三九〇名のうち約一五〇名の所属組合員を有しており、組織人員においても実際の活動においても組合の主力であつた。

被申請人の川崎支店は、その業務においても、荷役業務を中心として被申請人の全収益の半ばを占める主力支店であるため、時に一、二時間の残業を行う程度に過ぎない他支店と異り、時間外労働による二四時間操業態勢を組んで操業しており、同支店における時間外労働拒否はストライキと同様の効果を及ぼすことになる。そこで組合は川崎支店を重視し、かねてから川崎支部の強化に力を注ぎ争議時には同支部を中心に闘争態勢を組んできた。

3 現務員の組織化とこれに対する妨害

従来被申請人においては、現務員は一般従業員と異る身分を有するものと取扱われ、別個の就業規則の規律を受けていて、昭和四四年八月ころまで組合にも加入していなかつたが、組合は、昭和四四年八月二三日の定期全国大会において、現務員を積極的に組合に加入させる方針を決定し、現務員組織化専門委員会を設置した。申請人は一一名の委員で構成される右委員会の委員に選任され、川崎支店における組織化を担当することになつた。

そして組合は直ちに現務員の組織化に着手し、川崎支店においては申請人らの活動によつてほぼ完全な成功をおさめ、昭和四四年一一月一八日現務員集会が開かれ、圧倒的多数で組合への加入が決定され、その後数日の間に一名を除く全現務員五二名が組合に加入した。右現務員は同年一一月二二日から二四日にかけて実施されたストライキにも参加して、組合の闘争力を著しく強化する結果となつた。

しかしこれまでに至る間被申請人は組合の現務員の組織化に対抗して現務員の組合加入を妨害するため、種々の工作をした。

川崎支店においては、昭和四四年一〇月一〇日、現務員共済会(現務員の親睦団体)幹事会で組合加入大会の日取りを同月一五日と決定するや、被申請人側では、支店次長、現務員を使用していた課、作業所の課長等が切崩しの時間稼ぎを狙つて、各自配下の現務員に対し、個別的あるいは全員を集めて、組合加入を昭和四五年三月以後に延すように勧告した。

また右加入大会を夕方にひかえた一〇月一五日朝には、サイロ課長、セメント作業所長事務取扱等が、配下の現務員に対し、「今日の課長会議で、現務員の集会には会場を貸さないことに決定したので、集会に行つても無駄だ。集会参加をやめるように」と集会不参加を呼びかけ、事前に現務員共済会名義でなされていた右加入大会のための会場使用申請に対しては、従来の慣例に反して会場の使用を禁止し、その結果当日の加入大会は中止のやむなきに至つた。

4 被申請人の組合弱体化の意図

被申請人はかねてから、強力な川崎支部の弱体化を企てていた。

例えば、昭和四四年四月二六日から三〇日までの全面ストライキを含む春闘に対して、同年七月一五日付で、支部組合員で中央執行副委員長であつた申請外伊南昭一郎を傍系会社の申請外第一陸運株式会社に出向させ、支部長であつた申請外吉田一男を本社広報課に転勤させたことにもこれがみられる。

また申請人と同日付で、川崎支部長兼中央委員の申請外阿尾秀男を運転課長代理に、同支部所属の中央委員申請外竹田康晃を庶務課長代理にそれぞれ任命して非組合員化し、副支部長兼中央委員の申請外松井良之を豊洲支店に転勤させた結果、支部は支部三役と支部所属の中央委員全員を一挙に失つて、支部の組合活動に甚しい支障をきたすことになつた。

5 業務上の合理的必要性の欠如

申請人の新任地である新潟支店は、従業員約二〇名、現務員約二五名の極めて小規模の事業場であつて、今後も事業拡張の計画がある訳ではなく、申請人が入社以来取扱つてきた橋型起重機は一台もない。

そのため被申請人は電気機械関係の責任者という職務を新設し、申請人にその担当を命じて転勤の名目としているが、右職務は従来必要の都度外部の技術者に依頼して処理してきており、それで業務上何ら支障がなかつたのであつて、本件転勤命令には到底業務上の合理的な必要性はない。事実新潟支店に転勤後、申請人には、臨時的な雑務のあつた着任当初でも一日平均三時間、その後は一日平均一時間半程度の仕事量しかない。

6 申請人の被る不利益

申請人は、組合の活動の本拠である川崎支店から遠隔かつ小規模な新潟支店に転勤することによつて、組合活動の余地は大いに狭められ、また入社以来従事した橋型起重機に関する職務から電気機械関係の責任者という漠然とした閑職に移されることによつて、起重機技術者として職務上堪え難い不利益を被ることになり、さらに入社以来一七年にわたつて川崎を基点として築き上げてきた生活関係に深刻な打撃を受ける。

7 結論

以上のとおり、本件転勤命令は、被申請人において支部の実力を恐れ、そこでの申請人の熱心な組合活動ことに現務員の組織化を嫌悪して、同人を地方の小支店の閑職に就かせ、他の支部二役等に対する人事異動と相まつて、支部を弱体化しようとするもので、労働組合の結成、運営に対する支配介入であるものというべく、また申請人に対し組合活動上、職務上および生活上不利益な取扱いをすることを狙いとするものであることは明らかである。

(二) 申請人と被申請人間で昭和二八年に締結された労働契約においては申請人の職種および就労場所は明示的には特定されていなかつた。

しかし申請人は、技術系職員たる作業職補助二級として現地採用され、本件転勤命令まで一七年間も川崎支店における橋型起重機運転士ないしは橋型起重機技術者として勤続してきた。この事実からすれば申請人が橋型起重機運転士、少くとも橋型起重機技術者を職種とし、住所変更を必要としない範囲の事業場を就労場所とすることが、労働契約の暗黙の内容となつていたものというべきである。

従つて申請人の職種および就労場所を被申請人の一方的な意思によつて変更する本件転勤命令は両者間の労働契約上許されないものである。

三  保全の必要性

申請人は本件転勤命令によつて、以下に述べるような著しい損害を被る。

(一) 生活関係の不安定

申請人は川崎市において出生して以来、引続き同市内に居住し、三五年間にわたつて川崎市を中心に生活関係を築き上げてきた。そして昭和四三年九月には、生涯の住居のつもりで同市内に家屋を新築した。このような生活関係から切離される苦痛は甚しいものがある。

また自宅を立退いて手狭な代用社宅住いを余儀なくされ、その家庭生活の安定が乱される。

(二) 長男の健康

申請人の長男は、気管支炎、扁桃腺炎などを患い、病気勝ちであるが、寒冷地である新潟での生活は、長男の健康に深刻な影響を与える不安がある。

(三) 生計の窮迫

申請人は、毎月被申請人から支払われる給料(月額手取り約六万円)のほか、親元からの野菜その他日常的な生活資料の援助(月約七、八千円相当)と、妻がのり養殖業を営む申請人の実家で毎年冬期の五ケ月間働いて得る収入(月額約一万円)によつて生計を維持してきた。

ところが転勤により、これらの親元からの援助、妻の内職収入はすべて失われる。

また、申請人は本件転勤命令当時月額約一万円程度の残業手当を得ていたが、新しい職場では前述のとおり申請人にはあまり仕事量がなく、残業の必要は全然予想されない。

さらに月額約五二〇〇円の住宅手当の支給も受けられなくなり、逆に月額数千円の社宅料の支出を余儀なくされている。

以上によつて申請人一家三人の生計の窮迫は避け得べくもない状態である。

(四) 組合活動上の不利益

昭和四四年一二月一日付の人事異動によつて、支部三役を含む中央委員四名全員が川崎支部から排除されたため、同年一二月の支部総会において支部役員全員の改選が行われ、支部三役を含む新役員が決定したが、書記長には他に適任者を見出すことができなかつたため、申請人が再選された。

ところで新役員のうち、支部長、副支部長はいずれも組合役員の経験に乏しく、その職務に不慣れな者である。

書記長については、申請人が川崎支店に復帰するまでの間、暫定的に申請外岩崎正和を書記長事務取扱に任じて書記長の事務を代行させることになつたが、同人は住居が川崎支店から遠く、通勤に片道二時間半を要し、組合活動が時間的に甚しく制約されるところから、長期にわたつて書記長の職務を遂行することは困難である。

以上の次第で、支部運営の継続性を維持するためには、申請人の書記長としての活動が欠かせない事態であるにもかかわらず、本件転勤のため申請人の書記長としての活動は実際上不可能であり、右のような重要な職務の放棄を余儀なくされることによつて申請人の被る精神的苦痛、不利益は大きい。

また新潟支店における組合活動も、組合本部の所在する東京から遠く離れ、組合員数においても川崎支店の一八七名に対して二〇名にも満たない新潟支店においては著しく限定され、申請人の被る組合活動上の不利益は測り知れないものがある。

(五) 技術者としての不利益

申請人は入社以来常に橋型起重機に関する職務に従事してきたのであつて、前記のような閑職に変更されたことは、橋型起重機技術者として堪え難い不利益である。

四  申請人は本件転勤命令の無効を理由に、申請人の新任地における労働契約関係不存在の確認を求める本訴提起の準備中であるが、右のような著しい損害を避けるため、本件申請に及んだ。

(答弁)

一  申請の理由第一項は認める。

但し、免許取得の日は昭和二九年一〇月七日、工務課における申請人の職務は機械施設一般の保全検査等の業務である。

二  同第二項は争う。

(一) 不当労働行為の主張について

1 申請人の組合活動

申請人の組合役員歴については、「あゆみ」の編集委員であつたことを除き、その余は認めるが、組合活動に熱心であつたとの点は知らない。

申請人は団体交渉に出席してもほとんど発言した事実はなく、被申請人としては同人が特に活溌な組合活動家であるとは認識していない。組合自身が同人を「目立たない地道な活動家」と評価しており、被申請人がその活動を右のように認識したのは当然というべく、従つてその活動に着目して、これを嫌悪して川崎支店外に排除しようと考えるはずもない。

2 川崎支部の重要性

支部の組合員数、支店の操業態勢については認めるが、同支部がその活動において組合の主力をなしているとの点は知らない。同支店における時間外労働拒否がストライキと同様の効果を及ぼすという点、争議時に同支部を中心に闘争態勢が組まれたとの点は否認する。

元来被申請人と組合間の労使関係において、組合活動の中軸を占めていたのはもちろん本部機関であり、少くとも被申請人との関係においては支部の組合活動としては取りたてていう程のものは存在しなかつた。すなわち労使間の団体交渉は専ら中央において行われ、ただ昭和四〇年ごろから一部の支店において時間外労働の短縮と、現務員の一時金要求について委任を受けて交渉が行われる等のことはあつたが、それも本部の指示に基づいたものであつて、支部が独自の活動として本格的に取組んだものとして認めるべきものはほとんどないというのが実態であつた。そのため最近まで支部の組織自体さえ整備されておらず、書記長以下の支部役職が明確に示されたのは、昭和四五年度からに過ぎない。

現在に至る右のような支部の実態に照らしても、被申請人が特にその弱体化を期待して特別の行動をとるであろうと推認させるような事情は一つとしてない。

3 現務員の組織化とこれに対する妨害

現務員が一般従業員と別個の就業規則の規律を受け、昭和四四年八月ごろまでは組合に加入していなかつたこと、組合が現務員の組織化に着手したこと、同年一〇月一五日現務員共済会名で大会を開く旨の連絡があつたこと、一名を除く全現務員五二名が組合に加入したこと、昭和四四年一一月二二日から二四日までストライキが実施され、現務員もこれに参加したことは認めるが、その余の現務員組織化に至る経過は知らないし、現務員の組織化を被申請人が妨害したとの点は否認する。

元来被申請人は現務員が未組織のまま放置されていることは不自然であり、早晩組織化されるであろうことを予想していたのであるから、その組織化を妨害するなどという意思は始めから毫もなかつた。現に昭和四四年一〇月一五日には現務員有志の要請に基づき、現務員読書会の発会式に川崎支部長および申請人とともに支店幹部も出席し、組合側とともに挨拶をし、さらにその依頼に基づいて、支店次長自ら講師として労働基準法および労働組合法の初歩的な講義を行つた事実さえあり、支部と連絡をとつて学習活動の側面的な援助を行つている。

一〇月一五日の会費貸与の申請には、組合加入大会の会場ではなく、共済会の大会とあつたので、共済会相談役代行である次長が、共済会の会則にのつとりその手続を尽くしていないことについて注意を与えたまでのことであつて、次いで提出された阿尾支部長の「現務員との打合せのための集会願い」には直ちに承認が与えられている。

4 被申請人の組合弱体化の意図

昭和四四年七月一五日付および同年一二月一日付の各異動の事実は認めるが、被申請人が支部の弱体化を企てていたとの点は否認する。

昭和四四年一一月三〇日現在において、組合役員の数は七五名にのぼり、組合に所属する社員総数の約一七パーセントに達している。右の比率に照らして、人事管理上組合役員の全員を異動の対象から除外することは到底なし得ないから、毎期の異動に当つては、常に若干名の組合役員もその中に含まれており、例えば昭和四一年三月から昭和四四年一二月までの異動総数延四八三名中、組合役員の占める数は延六八名にのぼり、この中には本部三役延八名、支部長延一〇名も含まれている。

しかし、従来人事の公正を欠くとか、組合活動による不利益取扱いであるとかの理由で、組合から反対の申入れを受けた事実は本件まで全くない。昭和四四年一二月一日の異動に関しても、申請人のほか組合役員一二名の異動があつたが、苦情の申立があつたのは申請人だけである。

なお阿尾、竹田および松井の昇進、転勤は次に述べるようにいずれも業務上の必要に基づく相当の理由により、それぞれ同人らを適材としてその地位に配したものであつて、不当労働行為的意思によるものではない。

(1) 阿尾

阿尾は、豊洲支店庶務課長代理に就任した前任者申請外岩崎英雄の後任として運転課長代理に選考された。阿尾は、昭和四四年一月から、岩崎の後継者として育成するという見地から、運転課内において、岩崎の下で専用鉄道の運転、管理、点検、保守等の業務を担当させていたが、同課の課長代理は責任の重い業務をも担当しているので、岩崎の転任に伴い後任者の補充が不可欠となり、阿尾の昇格が決定された。

(2) 竹田

竹田は、昭和四四年七月一五日付をもつて、長期病気療養中の庶務課長代理申請外高田外志雄の事実上の欠員補充として、埠頭営業課から庶務課に配転になつたものであるが、当時から同年一二月の定期異動においては課長代理への昇進が予定されていた。

昭和四四年七月当時庶務課要員として候補にのぼつた者は数名あつたが、いずれも主任在任期間、現に担当している業務の実情、配転による業務上の支障等の点において難点があり、独り竹田は昭和二六年の高卒であり、庶務および作業労務等の経験も相当豊富であつたので、特に抜擢することにした。

(3) 松井

松井が川崎支店埠頭営業課から豊洲支店営業課に転勤したのは、専ら本人の希望に基づくものである。

被申請人では、昭和四二年九月から通関業法が施行されたことに備えて、とりあえず川崎支店における通関業務を集約して、これを埠頭営業課に分掌させる方針を決定し、昭和四三年四月、三名からなる通関グループを同課内に設け、松井をリーダーとしてその業務に当らせることにした。

ところが松井は、英語が不得意であり、税関関係の仕事は性格的にも不向きであつて、右業務に必要な通関士の試験を受ける意思もないから、新組織が軌道に乗つた暁には是非配転を考慮してほしい旨申出ていたので、通関業務集約の目的が一応達成された時期に応じて、前記配転を発令したものである。

5 業務上の合理的必要性の欠如

新潟支店の従業員の数、橋型起重機のないことは認めるが、その余の事実は否認する。

被申請人が本件転勤命令を発した事情は次のとおりである。

(1) 新潟支店では、簡易変電所を有する冷蔵倉庫一棟のほか、各倉庫付設の動力用電源、火災報知器、漏電防止器等の電気関係工作物を有し、その運用に当つているにもかかわらず、従来は専任の電気関係従業員の配置が得られなかつたため、機会あるごとにその要員の配置方を本社に要請しつつ、とりあえず申請外秋山亀松を電気事業法に定める電気主任技術者に嘱託して、辛うじて毎月一回の巡回点検を実施してきたところ、昭和四四年一月に至り新設の鋼材倉庫が稼動することになつたが、同倉庫には五トン吊り天井クレーンおよび電動ホイストが付置されている関係上、その運転および保守点検のためには、労働基準法およびクレーン等安全規則に基づいて、免許を有するクレーン運転士の配属を法的に義務づけられるという事情が発生した。

(2) そこで新潟支店長は、右の事情に加えて、荷役機械や諸車輛を含めて、同支店にある機械諸施設の保全管理をも担当する電気工作物の管理責任者一名の配置方を早急に実現されたい旨を昭和四四年一〇月三一日付で本社に対し重ねて強く要請したが、その際同支店長は、選考に当つては特に二要件すなわち、工業高校電気科卒で電気関係業務従事一〇年以上であること、クレーン運転の免許を有する者であることを具備することを必須条件として留意されたい旨申添えてきた。

(3) 右申請に対し、本社としてもかねてからその必要を認めていたので、昭和四四年末の定期異動に際し一名の電気関係要員を新潟支店に配置することとしたが、その人選に当つては、前記支店長の要請を斟酌して、次の基準に従つて行なうこととした。

イ 社歴一五年程度の工業高校卒の学歴を有する者で、近い将来管理職一級(主任)に昇進可能な能力を有する者

ロ 許可主任技術者の資格を受けられる者

ハ クレーン運転士の免許を有する者

ニ 約一年以内に転勤、職場変更等のなかつた者

ホ 後任者の補充を比較的円滑に行うことができる者

右基準に照らして人選を進めたところ、申請人を含めて五名の者が一応イないしニの各項目に該当したが、申請人を除くその余の四名は、現に重要な職務に従事しておりその職務から離れ難い業務上の理由があつてホの要件を充足しなかつたり、特別の配慮を必要とする家庭の事情があつたため、結局最終的には申請人を転勤させることが相当であるということになつた。

(4) 申請人は、工業高校電気科を卒業し、入社以来約一三・五年にわたり荷役機械の運転、保守、点検、検量の業務に従事し、クレーン運転士の免許も取得しており、昭和四一年一二月工務課に転じた後は、同課にあつて約三年間機械諸施設の保全検査、補修や自家用電気工作物の管理に当つてきたものであるから、イ前段ハ、ニの各要件を充足し、その経験、能力についてもイ後段に該当するものと思料された。また工業高校の電気課程を終了した者は、許可主任技術者の資格を受けられることになつているから、ロの要件も充足する。

さらに申請人の技術上の能力、経験は、新潟支店が当面している電気、機械関係の管理体制の整備という業務を消化するのに、充分であると考えられた。加えるに申請人は性格的にも比較的地道に粘り強く仕事に取組む努力型としての面が強いので、業務の面においてはもちろん、管理体制整備のため当面必要な立案計画の面においても充分の適格性を有しているものと評価された。

申請人の後任についてはその補充は比較的容易であり、業務上特別の支障を生ずるという事情はなかつた。

以上の各種の事情を彼此勘案した結果、最終的に、申請人が適任者であるとの結論に達した。

(5) なお申請人は、新潟支店における申請人の仕事量が少いと主張する。

しかし、新潟支店における申請人の職務は、自ら施設管理全般の責任者として、その運転、保守点検等について進んで必要な企画を立て、かつ日常不断の点検監視を行つて、業務の円滑な遂行と災害の防止等につき、遣憾なきを期すことにある。その仕事の性格は、ただ与えられた仕事を遂行するというよりは、むしろ自己の責任において、自発的に同支店の施設管理について早急に必要な諸規程を整備するとともに、申請人の能力、経験を充分活かして、施設の不備、欠陥を発見して所要の補修を行うという、企画、管理面にその重点がある。

申請人は支店赴任後一応その任に当つているが、早急に取組むべき業務として指示され、まだ実施に至らないものが数多くあり、申請人が自己の職務の責任、性格等を自覚するならば、その業務量は決して少くない。

6 申請人の被る不利益

申請人の主張は争う。

申請人が川崎支店にとどまるときは、主任級への昇進にはなお年数を要するものと考えられるが、新潟支店への転勤は近い将来における申請人の管理職昇進を一応予定しているものであり、申請人の昇進は容易になることも推認され、申請人の異動はこのような意味では栄転と称すべきもので、転勤に通常伴う生活上の変化や、精神的な気重さ以外に特別の不利益を招来するものではない。しかも新潟において申請人に期待されているのは、電気、機械一般にわたる管理体制をいわば創設するという、働き甲斐の充分ある業務である。

(二) 同項(二)は否認する。

被申請人は、昭和二六年以来毎年学卒者を定期的に採用しており、その員数は大学卒若干名のほか、技術系、事務系をあわせて高校卒約五名ないし一〇名程度である。そのうち技術系はおおむね高校において機械、電気等の課程を履修した者である。

そして、被申請人の従業員は、管理職層とその余の職層とに大別され、その余の職層はさらにその従事する職務の性質に応じて、事務職、特別作業職、作業職の三つの職層に区分されており、高卒の新社員は、事務系、技術系の区分に応じて、それぞれ事務職補助二級と作業職補助二級とに格付けされている。

作業職の従事している業務は、(イ)機械諸施設の保全検査等、(ロ)荷役機械の運用、運転、点検等、(ハ)専用鉄道および側線の管理、(ニ)機関車の運転、点検、保守、入換等、(ホ)サイロ機械および付帯施設の運用、運転、点検、保守等、(ヘ)液化石油ガス電気諸施設の保全管理等、(ト)以上の諸施設の新設、改良、補修、(チ)修理工場の運用管理、(リ)自家用電気工作物の管理等多種多様にわたつており、川崎支店においては運転課、工務課、サイロ課、セメント作業所に分属されているが、業務上の必要に応じて随時その間における人事交流が行われている。

申請人についても、被申請人としては特に当初から入社後の職種を限定して採用したものではなく、電気および機械に関する技術系一般の要員として、すなわち作業職として雇入れたものである。

また、申請人が単に橋型起重機運転士としての経歴が長期にわたつたからといつて、そのことから当然に前記雇傭契約の内容が変質を受け、右職種に限定された契約に変化するなどということはない。

なお被申請人において特に職種を限定して採用したものとしては、埠頭倉庫施設等の保護、警備に当る「監視」があるだけである。

就労の場所についても、特定の営業所または地域に限定する特約を伴うものではない。就業規則六〇条は「会社は業務の都合上必要のある場合は、従業員に対し、転勤、勤務替、助勤または非役を命ずることがある」と規定し、業務上の必要がある場合は、事務職、技術職を問わず広く被申請人の一方的指定によつて就労の場所を変更することのあることを明らかにしているのであつて、入社時においては各人から就業規則その他一切の規定を遵守する旨の誓約書を提出させ、その趣旨をさらに明確にしている。

被申請人においては例年相当数の異動が実施され、その中には当然住所の変更を必要とするものも含まれているのであつて、昭和四四年一二月一日付の異動についてもその種のものが八件含まれている。

三  同第三項は争う。

申請人の主張は、転勤に通常随伴する家庭生活の不便さや、家計上の変化の程度の域を出ず、今本件転勤命令を停止しなければ申請人の家庭生活や組合活動が危殆に瀕するというような事情は認められない。これに反し、本件仮処分が認容されるとすれば、被申請人としては改めて選考を行い、他支店から新潟支店の電気機械関係責任者を補充しなければならない事情にあつて、その結果相当の損害を生ずることが予想される。

以上の諸事情を考慮するときは、本件申請には保全の必要性はないというべきである。

(一) 生活関係の不安定

申請人が入社以来川崎市内に居住し、本件転勤命令発令当時、新居を構えて親子三人の生活を送つていたことは認める。なお被申請人は申請人の社宅を準備しているが、右社宅は手狭ではない。

(二) 長男の健康

申請人の長男が感冒や喉頭炎によつてごく短期間医者の診療を受けた事実はあるが、特に一般の幼児に比して病弱であるとまで考えられる事実はない。

(三) 生計の窮迫

申請人の給与額、新潟支店では残業手当が相当程度減少すること、住宅手当の支給がなくなり月額二五〇〇円の社宅料の支出を必要とすることは認めるが、申請人の主張は誇張に失する。親元からの生活資料の援助、内職収入があつたことは知らない。

申請人の給与は、賞与、一時金を含めると、残業手当一万円が全く入らなくなつたとしても月平均七万八〇〇〇円余となり、三人の勤労世帯として親元からの現物援助や妻の内職収入がなくとも充分生計を維持できる金額であつて、これによつて生活が窮迫するなどということは到底考えられない。

また申請人は、転居によつて、持家を経済的に利用することが可能となるが、川崎市内における貸家の賃貸料は住宅手当五二〇〇円を上廻るはずである。

(四) 組合活動上の不利益

昭和四四年一二月、申請人主張のとおり、支部の新役員が決定したことは認める。

申請人が主張するところは、申請人の転勤により、申請人自身が受ける私的損害ではなく、むしろ支部が被る不利益に関するものであるが、当事者外である所属組合への影響にまで拡大してこれを保全の必要性の理由とすることは許されない。

仮にこの点を別にしても、申請人の主張は事実と相違し、かつ保全の必要性とするに足りない事実である。

申請人の選出母体である工務課からは、申請人に代つてその補充として申請外小塚清が支部役員として選出されており、申請人の書記長就任は名目的なものであつて、当初から岩崎正和が事務取扱の名の下に、実質上の書記長として組合業務に当ることが予定されていたものと推認される。なお、岩崎の場合、橋型起重機要員であるから相当の待機時間が設けられており、待機時間中業務に支障のない限り承認を受けて組合業務に従事し得ることはもちろん、所定時間内であつても、常駐している課長、主任による代替が可能であるため、事前に承認を受ければ、終日組合業務に就くこともさほど困難ではない。従つて、同人の組合活動が時間的に甚しく制約されるということはない。

以上のとおり支部の運営上申請人の存在が不可欠であるという事情は存在せず、事実支部の運営は新支部長、岩崎書記長代行の下に支障なく行われている。

また申請人は新潟支店に転勤することによつて組合員の資格を失う訳ではなく、希望すれば新潟支部役員として選出されることも可能であり、同支部を背景に本部の執行委員ないし中央委員に選出されることも何ら妨げられない。

(五) 技術者としての不利益

申請人の主張は争う。

第三疎明関係<省略>

理由

一  申請の理由第一項の事実(当事者と本件転勤命令の発令)は、申請人の免許取得の年月日と工務課における業務内容を除いて当事者間に争いがない。

二  そこでまず申請人の不当労働行為の主張について判断する。

(一)  申請人の組合活動について

申請人が昭和三〇年四月の支部機関紙「あゆみ」(後に組合の機関紙となる。)の創刊に編集委員として参加して以来、引続きその編集の中心として関与してきたことは、成立に争いのない甲第一九、二〇号証の各記載、証人松田明の証言および申請人本人尋問の結果によつて一応認められ、その余の組合役員歴については当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない甲第六号証および第一五号証の各記載によれば、組合は申請人を支部きつての組合活動家であるとしているが、また「目立たないが地道な活動家として定評がある」ともされていることがうかがわれる。

この点に関し、成立に争いのない乙第一五号証の記載および証人地曳忠勇の証言によれば、昭和四三年八月以降一年四カ月の間の川崎支店と支部間で行われた多数回の交渉において、それが格別激しく対立、紛糾したこともなく、しかも労働者側で主として発言するのは支部長であり、申請人はほとんど発言をしていないことが認められ、申請人が「目立たない」活動家であるということを裏付けている。

(二)  支部の活動とその組合全体における地位について

前示甲第二〇号証の記載および証人松田明の証言によれば、本件転勤命令発令当時、被申請人の社員総数は四五九名、うち組合員数は三七五名、現務員(現場作業および雑役等に従事する従業員であることは当事者間に争いがない。)総数は一八三名、うち組合員数は五七名であること、そのうち川崎支店は社員総数は一五九名、組合員数は一三六名、現務員総数は五八名、組合員数は五一名であつて、被申請人の本社および六支店中最大の従業員数および組合員数を擁し、被申請人および組合全体の中で大きな比重を占めていること、その業務面からみても、川崎支店だけは二四時間操業態勢をとり、荷役業務を中心に被申請人の全売上の半ば以上、利益の八割以上を占める主要な支店であること、従つて支部が争議行為をした場合、被申請人に与える損害も相当のものであり、争議時等には組合としては支部を中心に闘争態勢を組むことを常としていることが一応認められる。

しかしまた、前示乙第一五号証、成立に争いのない甲第一号証、乙第一四号証の各記載および証人地曳忠勇の証言によれば、支部は組合規約上は「この組合の宣言、綱領、規約ならびに中央機関の決議に反しない限り、その自主性が認められる」とされており、一応自主性が認められているものの、実際は支部独自の活動はほとんどなく、昭和四〇年以降についてみても、独自の活動としては、病死した従業員の遺族に対する見舞金を集めたこと他一件位であつて、その他のほとんどすべての支部の活動は、組合本部の指令に基づく支部と支店との交渉か(証人地曳が次長在任中の昭和四三年八月以降の一年四カ月の間、支部独自の問題についての団体交渉は皆無であつた。)、組合の上部団体である全日本倉庫運輸労働組合同盟の横浜地区における傘下組合の活動に参加する程度のものであつたことが一応認められ、川崎支部も大支部ではあるが一つの支部に過ぎず、本部の完全な指揮命令下にあつて、組合活動に関する指導性は組合本部が掌握していたことが明らかである。

(三)  現務員の組織化問題について

前示甲第一九、二〇号証、成立に争いのない甲第一二、一三号証、申請人本人尋問の結果によつてその成立を認め得る甲第一四号証の各記載、証人長島俊一、松田明の各証言および申請人本人尋問の結果によれば、昭和四四年八月二二、二三日の両日開催された組合の昭和四五年度定期全国大会において、従来東洋埠頭労働組合には加入していなかつた現務員を組合員とすること、そのための専門委員会を設置することが昭和四五年度の運動方針の一として採択され、組合の重要な課題とされたこと、これに伴い昭和四四年九月六日組合に本部三役と各支部から一名ずつの組織化専門委員合計一一名から構成される現務員組織化専門委員会が設置されるに至り、川崎支部からは申請人が専門委員に選出され、同支部における現務員の組織化を担当することになつたこと、そこで申請人は直ちにこの仕事に着手し、昼休みなどに連日のように現場を廻つて、現務員共済会(現務員相互の親睦と福祉の向上を目的とする会)の幹事その他の主だつた現務員と話し合いをして、組合大会で採択された現務員組織化についての前記方針を伝えたり、これについての現務員側の要望を聴取したりしながら組合加入呼びかけのための準備をしたこと、同年九月二〇日、二二日の昼休みに現務員を集めて、組合中央執行委員長が現務員の組織化についての説明を行い組合加入を呼びかけたが、その後は申請人が中心となつて現務員に対して熱心に組合加入を呼びかけたこと、その結果、現務員の間に組合に加入しようとの気運が急速に盛り上り他の支店にさきがけて、同年一一月一八日、組合加入のための現務員集会が開催されるに至り、同集会には支店の五五歳未満の現務員五二名(現務員総数は五八名であるが、組合では組織化するのは五五歳未満の者に限定した。)のうち、委任状によるものを含めて五〇人が出席し、賛成四四名、反対六名で組合加入が決議され、その数日後には一名を除いて五一名が組合に加入し、同年一一月二二日から二四日にかけて行われた昭和四四年度のいわゆる越年闘争に際しての争議には新たに組合に加入した現務員もこれに参加したことが一応認められる。

ところで申請人は、川崎支店におけるこの現務員組織化に対し、被申請人側から種々の妨害工作が行われたと主張するが、この点については以下述べるとおり疎明がないといわざるを得ない。

1  まず昭和四四年一〇月一五日の件については、前示乙第一五号証、弁論の全趣旨によりその成立を認め得る乙第一三号証の二、成立に争いのない乙第一三号証の一、第二二ないし第二六号証の各記載および証人地曳忠勇、長島俊一、松田明、申請人本人の各供述を総合すると、事実は次のようなものであつたと一応認められる。

一〇月一五日午前九時ごろ、現務員共済会の岩田幹事長から、現務員の労務管理を担当している古谷作業課主任に対し、共済会幹事会で、同日昼休みに会社施設を借りて共済会の大会を開催することを決めたが、どのような手続をとつたら良いかとの問合せがあつた(共済会々則には大会開催に関する規定がない。)。右共済会の大会開催の目的は組合加入についての現務員全員の意向をたしかめるためのものであつた。このことは岩田幹事長から古谷主任に対して明らかにはされなかつたが、古谷は右大会が組合加入の問題を討議するためのものであることを察知し、右問合せがあつたことと共にこれを地曳次長に報告した。その報告を受けた地曳次長(共済会々則により、その相談役は支店社員の中から支店長が任命し、その職務は会の運営に助言するとともに幹事会の議決事項を審査するものとされていた。地曳次長は当時右相談役であつた。)は、会則をみたところ、「幹事会で決定した事項は相談役に報告し承認を得なければならない」と定められていることは判つたが、当日の昼休みに共済会大会ということで現務員全員が集まるものであるからには、相談役として承認を与えるかどうかを決定するについて予め現務員を配下に持つ関係課長の意見を聞く必要があると考え(地曳次長がこのように考えたのは、右決定をするについて現務員の従事している作業状況を勘案するためであつたと思われるが、そうだとすればもつともなことである。)、岩田幹事長を呼んで、右のような手続を経るためには昼休みの開催は時間的に無理ではないかと述べ、さらに、もしも大会の議題が現務員の組織化に関する問題であるならば、共済会の性格からしてそのような問題を討議するのは筋違いであるから、組合支部長から会場の貸与願を出すのが妥当であると指摘した。次長は、それ以前に組合支部から度々提出された施設貸与願記載の使用目的によつて、現務員の組織化が進行していることは察知していた。次長が岩田幹事長に対して前示のような指摘をしたのは、現務員組織化についての集会のための会社施設貸与願については、従来の例にならうように求める趣旨のものであつた。なおこれらの会社施設貸与願を支店側が拒否したことは全くなかつた。

なお岩田が帰つた後地曳次長は支店側の右のような措置が、現務員組織化に対する妨害ととられるのを恐れ、直ちに現務員を配下に持つ課長等を呼び集め、岩田幹事長に述べたのと同様の説明をし、支店が共済会の大会を承認できないとしたのは、右のような理由によるもので、現務員の組織化に水をさそうという意図によるものではないから、現務員から問合せのあつた際には充分その趣旨を説明するようにと指示した。それで担当課長等は、この指示に従つてその配下の現務員に説明を行つた。

他方岩田幹事長は地曳次長の前記説得を了解し、一〇時三〇分ごろ組合の阿尾支部長を訪れ、同日共済会で組合加入の問題を話し合う予定でいたところ、支店側から手続に不備があると指摘されたので、善処方を願いたいとの要望をした。支部長は事情を聴取し、支店側の言い分も一理あり、問題の性質からいつて組合支部が間に入つて会場使用の許可を得るのが適切であると考え、現務員全員の集会をその一部主だつた者の集会に切り換え(このような切り換えがなされた理由は必ずしも明らかではないが、地曳次長の前記説得を考慮したことが少くとも一つの大きな理由であつたろうと推測される。)組合支部長名で、現務員若干名との打合せのため会場を使用したいとの願を提出したところ、即時承認が得られたので、当日昼休みに現務員の主だつた者が集つて現務員組織化問題についての集会を実施した。

前示甲第二〇号証の記載および証人長島俊一、松田明、申請人本人の各供述中、右認定に反する部分は採用し難い。

以上のとおりであつて、一〇月一五日の件で被申請人が現務員の集会のための会場使用を禁止するなどして現務員の組織化の妨害を図つたものと申請人が疑つたとしても無理からぬ点がなくはないが、前示のような事実経過に照らせば同日の件を目して直ちに被申請人が現務員の組織化の妨害を図つたものと見るのはいさゝか無理である。

2  次に、現務員を配下に持つ部課の長らが各現務員に対し、昭和四五年三月まで組合加入を延期するようにと勧告したとの主張については、これに沿う疎明資料として前示甲第二〇号証の記載および証人長島俊一、松田明、申請人本人の各供述(いずれも伝聞)がある。そして右疎明資料は、組合側の臆測として、昭和四五年三月という期限には格別の意味はなく、被申請人としては、とりあえず現務員の組合加入へと盛り上つた気運をしずめて、その間に東洋埠頭労働組合とは別個の現務員だけの組合結成をさせようとして(その方が争議の場合、被申請人に与える損害が少いとする。)そのための時間稼ぎを狙いとしたものであるとしており、この臆測は一応もつともなように見える。しかし前示乙第一五号証、第二五号証の各記載および証人地曳忠勇、松田明の各証言を総合すると、当時京浜港においては東洋埠頭労働組合とは別系統の労働組合である全日本港湾労働組合(全港湾と略称)や日本港湾労働組合連合会(日港労連と略称)が未組織労働者の組織化を積極的に進めていたので(従来社員との労働条件格差の大きい現務員の加入を拒んできた組合が前示のように昭和四五年度の組合大会で現務員の組織化に踏み切つたのは、単に組織力を強化するためというよりも、全港湾や日港労連の右のような動きに対処するためのものであつた。)、支店側では現務員の組織化が早晩免れない以上それが全港湾や日港労連に組織化されることにより交渉相手がいわゆる横断労組となり、かつ多面化するよりは、企業内組合である東洋埠頭労働組合に組織化されることを望んでいたものであり、このことは地曳次長から現務員を配下に持つ部課の長らにも充分語られていたことが認められる。

このような情況のもとにおいて、なお川崎支店現務員の東洋埠頭労働組合への組織化を昭和四五年三月まで阻止することが被申請人の利益に合致していたと認められるような特段の事情は、全疎明資料を詳細検討しても発見できない。(前示乙第一五号証の記載および証人長島俊一、地曳忠勇の各証言によれば、川崎支店においてはすでに昭和四三年から、組合支部が本部の指令により現務員から委任を受けて、その労働条件に関して支店との間に団体交渉をしていたことが認められるので、川崎支店の現務員が組合に加入することについての被申請人の関心は、主として労働争議において組合の闘争力がいかほど強化されるかにあつたのではないかと思われるが、川崎支店の現務員の大半が組織化された直後に行われた前示の越年闘争が従前よりも格段に熾烈であつたと認めるに足りる証拠はなく、このことから推せば被申請人の右の点の関心も敢て現務員組織化の一時的阻止工作に走らせるほどに強いものであつたとは考えられない。)

また、前示乙第二五号証は当時の組合支部長阿尾秀男の陳述書であるが、同人はこの陳述書において組合が現務員の組織化問題で支店側から妨害を受けた事実はないと明言している。

以上検討したところに前示乙第二二、第二四、第二六号証の各記載を勘案すると、前示甲第二〇号証の記載、前示証人らおよび申請人本人の各供述を採用して申請人の前記主張を認めることは躊躇せざるを得ず、他に前記主張を認めるに足りる証拠はない。

3  前示甲第一四号証の記載と証人松田明の証言によると、被申請人の豊洲支店では、組合本部から組合執行委員長が同支店に現務員のオルグ活動に赴いた日の前日の昭和四四年九月二三日に、急拠、現務員だけの労働組合が結成されたことが認められるところ、右書証の記載および証人の供述は、豊洲支店における現務員だけの右組合結成は、同支店次長が手を廻して、現務員が東洋埠頭労働組合に組織されるのを妨害するために工作したことによるものであるとしている。なるほど組合結成の時点だけを見れば、そのような推測も成り立ち得る。しかし証人松田明の証言によれば、当時東洋埠頭労働組合と別系統の前記日港労連が豊洲支店の現務員を組織化したいとの意図を持ち豊洲支店の現務員に対する働きかけがなされていたこと、現に豊洲支店の現務員組合はその結成直後の組合大会において、上部団体として右日港労連へ加入すべきか否かを討議した(加入決議はされなかつた。)ことが認められるのであつて、豊洲支店の現務員組合が急拠結成されたのは右日港労連の働きかけによるものである可能性があり、仮にそれが豊洲支店次長の手廻しによるものであつたとしても、その狙いは同支店の現務員が日港労連や全港湾に組織化されるのに先手を打つことにあつて、東洋埠頭労働組合への組織化を妨げることにはなかつた可能性もある。従つて豊洲支店において東洋埠頭労働組合への現務員組織化に対する被申請人側の妨害があつたことについては疎明が不充分といわざるを得ない。

なお、証人松田明の証言によると、博多支店の支店長は、昭和四四年一〇月初めごろ上京した際に、組合の中央執行委員長松田に対し博多支店の現務員(その大多数の者による現務員だけの労働組合が以前から組織されていた。)については現務員が社員と一緒になつてストライキをやられては困るから、組織化を少し遅らしてほしいと頼んだことが認められるが、この事実から被申請人がどの支店でも現務員の組織化を妨害する工作をしたとは即断できない。

4  前示乙第一五号証、第二五号証の各記載、証人地曳忠勇の証言とこれによつてその成立を認め得る乙第三〇号証の記載、証人長島俊一の証言および申請人本人尋問の結果によれば、次の事実が一応認められる。

現務員の一人舟野新太郎(同人は前示の昭和四四年一一月一八日の川崎支店現務員集会の後、川崎支店で組合加入資格ある五二名の現務員中五一名が組合に加入したのに、一人だけ加入を拒んだ現務員である。)は、現務員の間に組合加入の気運が次第に高まつてきた昭和四四年一〇月上旬ころ、現務員は組合に加入するか否かを決める前に先ず労働法、労働組合等に関する知識を深める必要があるとして、組合とは関係なく読書会を開くことを計画し、かつ、講師については費用等の関係で地曳次長に依頼することとし、一部特定の現務員にその旨呼びかけていたところ、組合支部および現務員らから、そのような会合には現務員の全員を参加させるべきだとの抗議が出て、現務員全員が参加できる形式で開かれることになり、一〇月一五日夜その発会式が行われ求められて出席した次長が挨拶をしたが、支部長および書記長の申請人も出席し、支部長は激励の挨拶をした。その後一〇月二七日、一一月一四日の読書会には次長が講師として現務員に対し労働法の初歩的な講義をし講義の中で、組合には必ずしも加入しなくともよいという話もなされた。

証人長島俊一および申請人本人は、右読書会が反組合的意図のもとになされたものゝように供述している。しかし右認定の事実関係のもとでは右読書会の件について被申請人側に現務員組織化妨害の意図があつたと認めるのは無理である。

(四)  被申請人の組合弱体化の意図の有無について

1  昭和四四年七月一五日付の異動について

同日付で伊南昭一郎、吉田一男が申請人主張のとおり異動したことは当事者間に争いがない。

しかし、申請人の主張に沿う前示甲第二〇号証の記載および証人松田明の証言は以下説示の理由により採用し難い。

まず右証言によれば、その異動の際組合としてはこの問題について被申請人に対し、抗議もしなければ撤回のための団体交渉の申し入れも全くしておらず、僅かに伊南の役員としての任期終了まで赴任を延期させるにとどまつたことが認められ、これによれば組合が、真実右異動を弱体化を目的とする重大な攻撃と受取つたかどうか疑わしい。

また前示乙第一四号証の記載によれば、伊南が出向を命ぜられた第一陸運株式会社(第一陸運と略称)は、資本金全額を被申請人が出資し自動車運送業を営む被申請人の子会社であり、営業の内容からいつても被申請人とは緊密な関係にあること、最近は物的流通の合理化という観点から荷主筋が被申請人に対し港頭から需要先までの配送を含めた一貫請負を要請する意向が強いので、被申請人としても配送部門を強化する必要に迫られ、かねてから有能な社員を右会社に派遣し、業務の緊密、円滑な処理を図つていたが、昭和四一年一二月から派遣していた社員某について、健康が勝れず、他の職員とのチームワークにも難点があるとして第一陸運からその交替の強い要望があり、またその交替に出向する者は第一陸運で東京営業所長として労務管理、総括事務を担当することになつていたので、被申請人は主任級の職員の中から若手有能な者を選考することになり、種々の事情を考慮した結果、伊南が適任者として選任されたこと、吉田については同人は、かねてから事務課の倉庫受渡事務を担当していたのであるが、電子計算機導入により右事務が定型化されたため、昭和四四年五月に事務課が廃止されたので暫定的に倉庫課勤務になつていたこと、たまたま昭和四四年七月に社内報の編集発行を担当する部門として総務部に広報課が新設されることになつたが、その際同人はその社歴および職務経験から広報課に適材として選ばれたことが一応認められ、前記異動についてはそれぞれ一応合理的と思われる業務上の理由があつたことがうかがわれる。

2  昭和四四年一二月一日付の異動について

同日付で、書記長である申請人のほかに、支部長、副支部長および支部選出の中央委員が昇格あるいは配転したことは当事者間に争いがない。

しかし、前示乙第一四号証、第二五号証、成立に争いのない甲第一号証、乙第一八号証、第二七号証の各記載および証人地曳忠勇の証言によれば、右の異動に関しては以下の事実が認められ、三人の異動にはそれぞれ一応首肯するに足る理由があるものというべく、右異動の事実から直ちにこれが支部の弱体化を狙つたものであると即断することはできない。

(1) 阿尾支部長について

阿尾支部長は、川崎支店としては本社に対して、運転課主任待遇から同課主任への昇進の申請をしていたところ、岩崎運転課長代理が豊洲支店に転出し、阿尾がその後任とされることになり、その担当する職務が、専用鉄道の運転、管理、点検、保守等の日常業務のほかに、関係諸官庁との連絡折衝や鉄道関係の事業計画の立案、施工業者の選定監督等、責任の重大な業務であつたため、主任では肩書が不充分であるとして、本社において一挙に課長代理への昇進を決定した。なおその結果、組合の規約上、課長代理以上の職にある者は非組合員とされているので、阿尾は組合員の資格を失うに至つた。

(2) 竹田中央委員について

庶務課主任であつた竹田は、昭和四四年七月一五日付で、公傷の療養の長期化と復職後の原職復帰の不可能であることが予想された高田庶務課長代理の補佐として配置されていたが、業務量の多い庶務課長を補佐する課長代理の配置が必要であると考えられ、竹田の職務経歴と能力評価の面からみても妥当と判断されたので、課長代理への昇進が決定され、その結果阿尾と同様組合員の資格を失うことになつた。

(3) 松井副支部長について

松井は、埠頭営業課に属し、通関業務を担当するために昭和四三年四月に発足したグループのリーダーとしての仕事に従事していたが、同人はその発足当初から、税関関係の業務には不向きであるので、新組織が軌道に乗つたときには、配置転換を考慮してもらいたい旨申出ており(もつとも通関業務の経験者は極めて少数であり、同人を除外して通関グループを編成することは困難であつた。)、その後も、自分は英語が不得意であるから、英語を使用しない職種であればどこの支店でも良いから転勤について配慮してもらいたいとの意向を明らかにしていたので、被申請人としてはこの本人の強い要望を容れ、豊洲支店に配転することになつた。

(4) 異動内示直後の支部の動きについて

以上の異動は昭和四四年一一月二六日に内示され、同月二七、二八日の両日支部では支部役員会を開催して、役員欠員に対する善後策を検討したが、その席上、今回の異動が組合ないし支部を弱体化するためのものであるとか、あるいは組合活動に回復できない支障を及ぼすものであるとかの意見は一切出ず、論議の中心は、越年闘争を控えて、早急に役員の補充を行うこと、その選挙の方法、日程等であつた。

(五)  本件転勤命令の業務上の必要性について

前示乙第一四、一五号証、成立に争いのない乙第一六号証、第一九、二〇号証、第二八号証の各記載、証人佐藤通の証言によつてその成立を認め得る乙第四号証の記載および証人地曳忠勇、佐藤通の各証言によれば、本件転勤命令が発令されるに至つた経過は次のとおりであると一応認められる。

1  被申請人の新潟支店は、昭和四四年一二月一日現在で社員一九名、現務員二三名がおり、営業施設として普通倉庫七棟九一六八平方メートル、冷蔵倉庫一棟三三〇平方メートル、鋼材倉庫一棟七八二平方メートルを有し、荷役機械施設としてモービル・クレーン二基、フオークリフト四台、鋼材倉庫付属施設の天井走行クレーン、電動ホイストクレーン各一基、その他各種コンベヤー、車両器具があり、これら機械、施設に伴つて、変電設備等の電気設備がある。

2  しかし従来新潟支店には電気、機械関係の技術者は全く配置されていなかつた。

そこで電気関係については、自家用電気工作物を設置するためには法律上主任技術者の配置を必要とするので(電気事業法第七二条)、やむなく昭和三九年五月以降、外部の業者である秋山亀松を支店嘱託として依頼し、電気主任技術者として毎月一回、巡回点検を実施し、報告書を提出させていたにすぎなかつた。

しかし新潟支店の施設は全般に老朽化しており、不測の事故の発生するおそれもあつたので(他支店では漏電事故が発生した例もあつた。)、職員に専任の電気技術者がおれば、日常の点検が可能であつて、災害も防止でき、電気諸施設の安全管理上、万全を期し得るという観点から、新潟支店では電気関係技術者の配置の必要性を痛感し、かねてからしばしばその旨の要請を本社にしてきていた。

またその他の機械設備についても、現務員では簡単な給油、点検ができる程度であつて、全般的に修理頻度が高く、このような事態を避け、計画的な修理や日常の保守点検をさせるために、やはり専任の技術者の必要があることが強く感じられていた。

さらに昭和四四年一月から新設の鋼板倉庫が稼動を始めたが、同倉庫には五トン吊りの天井走行クレーンが備えられており、法律上その運転は免許を有するクレーン運転士でなければならないとされていたが(クレーン等安全規則第一八条)、被申請人会社では京浜地区においてもクレーン運転士が不足しており、新潟支店に転勤させることができず、同支店にはクレーン運転士の免許を有する者がいなかつたため、その配属ができるまでとりあえず、機械の運転は鋼材関係の取扱専門業者である鋼材運輸株式会社に下請させることとし、同社従業員で免許を有する者が運転に従事するということで業務が開始された。しかし新潟支店としては、施設保安に関する責任体制を確立し、事故、災害を防止するという面からも部外者による運営は排除することが望ましいこと、現務員が高年令化し、肉体作業に不適な者が増加しているが、このような労働者でもクレーンによる鋼材取扱の作業に転換吸収することはできること、新潟地方の特質として冬期の作業は閑散となり、労働の需要に季節的アンバランスがあるのが現状であるが、鋼材の入出庫にはさほど季節的変動がないので、労働力も年間平均的に利用でき、冬期に遊閑労働力の出ることによる不経済、収益率の減少を避けることができること等の事情から、昭和四五年末、遅くとも昭和四六年三月末までには鋼材倉庫の直営を実現したいと考え(この者は実際には現在も実現していない。)、そのためにまずクレーン運転士を絶対に必要としていた。

3  そこで、本社から昭和四四年一二月の年末定期異動に関する要望事項の提出を求められた新潟支店では、同年一〇月三一日付で、以上のような事情を述べて、鋼材倉庫および荷役機械の管理を含めて、電気工作物の管理責任者一名を早急に配置願いたい旨を申請し、その際選考に当つては、工業高校電気科卒で電気関係業務に従事一〇年以上の経験のある者であること(電気主任技術者の許可を容易に得ることができるため)、クレーン運転士の免許を有する者であることが必須の条件であることを上申した。

本社総務部においても、技術系職員については人員の余裕はない実情にあつたものの、川崎支店において昭和四二年八月から進められていた起重機大型化の改良工事による能力倍増計画が昭和四四年九月に全部完了した関係もあり、また鋼材倉庫がすでに稼動を開始している現状も考慮し、今回の異動で新潟支店の要望を容れ、同支店に、電気関係の管理を主とし、あわせて機械関係の管理およびクレーン運転士の養成、指導とその労務管理を担当する責任者を配置することにした。

4  総務部人事課では、その選考に当り、(1)右職務が電気、機械関係の管理責任者であることから、準管理職に達しており、今後三年程度で管理職である主任に昇進し得る地位にある者が適当であるとの観点に立ち、社歴一五年程度の工業高校卒業の経歴を有する者で、近い将来主任に昇進可能な能力を有する者であること、(2)許可主任技術者の資格を受けられる者、すなわち工業高校の電気科の課程を終了した者であること、(3)荷役機械の管理、クレーンの運転指導のできる者、すなわちクレーン運転士の免許を有するとともに、一〇年以上のクレーン運転歴のある者であること、(4)短期間に転々と配転することは適当でないという人事配置の基本原則から、過去約一年以内に転勤、職場変更等のなかつた者であること、(5)業務上の支障を最少限度にとどめるために、後任者の補充が比較的円滑に行うことができる者であることとの選考基準を設定し、右(1)、(2)の条件に適合する者として、川崎、豊洲両支店の技術系従業員の中から申請人を含む九名がその対象とされたが、職場変更が一年以内にあつた者、後任の補充が困難な者、クレーン運転歴の短い者を除くと、結局、川崎支店の運転課所属の森田道男(昭和二七年入社、特別作業職二級)、大野久雄(昭和二七年入社、特別作業職二級)、木下真喜男(昭和二八年入社、特別作業職一級)および同支店工務課所属の申請人(昭和二八年入社、特別作業職一級)の合計四名が残つた。

そして、右四名はいずれも川崎支店所属であるので、誰が最も適任か、同支店の意見を聞くことにした。

5  川崎支店では以下に述べるような右四名の事情から、申請人が最も適任と判断し、昭和四五年一一月一四日ごろその旨本社に具申した。

(1) 森田道男

同人は入社年度、経歴、職務能力、性格等からして、次期の橋型起重機班長の有力な候補者であつたが、組合の中央執行委員であつて、班長と組合役員の仕事を両立させることが困難であるため、それまで見送りになつていたという事情があつた。

また川崎市内の小学校に在学中の長女が小児麻痺後遺症のため手足が不自由であり、ようやくこのころになつて小学校の集団生活になじんできたという家庭事情があつたので、長女を転校させる結果になる森田の転勤は、情において忍びないものがあつた。

(2) 大野久雄

川崎支店工務課では橋型起重機の保全管理のため検査員という制度を設け、班長以上の権限を与えていたが、二名の検査員のうち一名は、定年退職者を嘱託して充当しており、その者は老令のため機上勤務が困難となつたので、かねてから運転課内の古参班長をその補充とすることとし、これを機会に運転課の班長に若手を起用しようという計画を持つていた。

その場合大野は、職務能力、指導力の点からも、同期の者ですでに管理職に昇進している者があることからいつても、早い機会に班長に昇進させることを予定していた。

もつとも当時は、昭和四三年度以降入社者の基礎教育が進行中であつて同人らの運転経験が不充分であり、班長の工務課検査員への配転は困難であつたため、右教育の終了する昭和四五年三月一日付で大野の班長昇進が予定されていた。(事実同人は予定どおり、右日付で班長に就任した。)

(3) 木下真喜男

川崎支店ではかねてから、本船大型化に対応する施設拡充計画の一環として、橋型起重機荷役の増強計画(毎時二五〇トンから五〇〇トンへ)を進めており、起重機の改良工事は一台は昭和四二年八月、一台は昭和四四年九月に完成した。改良に当つて電気系統の諸施設に最近の進んだ技術を取入れた結果、運転、保守、点検には相当の電気に関する技能が必要となるに至つた。

そのため、高校卒ではあるが高度の電気関係の技術を身につけており、また指導性を有して信望を集めていた木下は、大学卒の他の二人の職員とともに、その中心となつて、運転課員の再教育を実施していた。また同課内の橋型起重機担当者約三〇名中、昭和四三年度以降入社の者が九名に及んでおり、木下にこれらの者に対する電気関係の基礎教育を昭和四四年五月から担当させており、昭和四五年四月までの計画であり、当時はまだ教育途上であつた。

木下の転勤は以上の教育計画の遂行上重大な支障を生じ、また木下に代つて当面直ちに教育に当り得る適当な人材は見当らなかつた。

(4) 申請人

申請人は、電気を専門とはしているが、橋型起重機の保全検査業務、構内一般電気関係施設の保守管理業務に約三年間従事し、一般機械施設の管理にも相当の経験を有していた。

その性格も粘り強く努力家であつたので、新潟支店で予定している職務には適任であると思われた。

その後任も運転課から班長級の転入が予定されているなど、容易に補充が可能であつた。(その後昭和四五年三月一日付で、運転課から班長二名が工務課へ配転された。)

6  このようにして、申請人が新潟支店へ転勤することは昭和四四年一一月一四日ごろ立案され、同月二五日の被申請人在京役員会で決定されるに至つた。

以上の事実によれば、従来新潟支店ではその業務をともかくも遂行してきたことからいえば、申請人が就くことになつた地位の新設は、必要不可欠のものであつたとまではいい難いが、相当の電気、機械施設を有する新潟支店に技術者が皆無であるという状態を解消するため、その管理責任者一名を配置しようとした被申請人の意図は充分理解し得るのであつて、業務上の合理的必要性がないとは到底断定できないし、申請人が右の職務を担当する者として選任された相当の理由もあるというべきである。

なお甲第一九号証の記載および申請人本人の供述によると、申請人の新潟支店における現実の仕事量は、着任当初でも、一日平均三時間程度、その後は平均一時間半程度しかない旨強調されているが、甲第一九号証添付の新潟支店における業務一覧表によると、申請人のいう一時間半ないし三時間というのは、修理、検査あるいは工事監督の作業に現実に従事している時間だけを意味するもののようであり、また前示乙第一九号証、成立に争いのない乙第三一号証の各記載および証人佐藤通の証言によれば、申請人は命ぜられた業務について必ずしも迅速に処理、完了していないこともうかがわれるのであつて、申請人の職務が全く閑職であるとは認め難い。

(六)  結論

以上要するに、申請人は、昭和三五年以来引続き組合の諸役職を歴任し、組合特に川崎支部の活動上、相当重要な役割を占めてきたものであり、特に川崎支部における現務員の組織化に当つては熱心に活動してこれを全面的な成功に導いたものというべきところ、本件転勤命令は定期異動の時期であるとはいえ、右組織化が成功し越年闘争が行われた直後になされたものであつて、これにより申請人は長年住み慣れた川崎市を離れ、遠隔、冬季寒冷の地に転勤せざるを得ないことになつたものではあるが、反面組合にとつて本部役員と川崎支部役員との間にはその重要性におのずから差があることはもちろんであり、被申請人が申請人が中心となつて推進した川崎支部における現務員の組織化を妨害したと認めるに足りる的確な疎明資料はなく、また従来被申請人が組合弱体化の工作をした事実も認め難く、さらに本件転勤命令は川崎支店の現務員組織化が成功を見る前の昭和四四年一一月一四日ごろに立案されたものであり、かつこれについては業務上の合理的必要性があつたことが一応首肯し得るのであつて、その他前記認定の事実を総合して判断すると、被申請人が本件転勤命令を発したのは、申請人が現務員の組織化その他で熱心な組合活動をしたためであつたとか、あるいは川崎支部を弱体化しようとして組合の結成、運営に対し支配介入するためであつたとか推断することは困難といわざるを得ない。別言すれば、被申請人に不当労働行為意思があつたことについての疎明が不充分である。

従つて、申請人の不当労働行為の主張は採用できない。

三  次に申請人の職種と就労場所を変更することになる本件転勤命令は、申請人と被申請人との間の労働契約上許されないものであるとの主張について検討する。

申請人が入社以来、約一七年間引続き川崎支店に勤務し、その間橋型起重機運転等の業務に従事してきたことは当事者間に争いがないが、前示乙第一四号証、成立に争いのない乙第一号証、第三号証の一の各記載、証人地曳忠勇の証言および申請人本人尋問の結果によれば、次の事実が一応認められる。

(一)  被申請人の従業員は、社員、嘱託、現務員、臨時員に分れているが、社員と嘱託は、採用手続および試験が本社で行われるか支店で行われるかを問わず、その採用はすべて社長決裁により、交付される採用辞令には、「従業員に採用する。事務職補助何級、あるいは作業職(技術系をいう。)補助何級」と記載されている。その後の一切の人事管理は、本社総務部人事課において、全社員、嘱託のものを集中して行つている。

これに対し現務員は、定期採用はなく、すべて増員または欠員補充の必要が生じた都度募集し、募集、選考は支店ごとに行われ、採用は支店長の決裁により、採用辞令も交付されない。以後退職までその一切の人事管理も支店が行い、支店間の転勤はない。

(二)  監視、乗用車運転手、電話交換手、タイピスト等の場合は職種を指定して募集、採用しているが、その他の従業員については、一般事務職員と一般技術職員の区別があるだけで、その中でさらに具体的な職種の限定をして採用することはしていない。

(三)  工業高校電気科または機械科を卒業して一般技術者として採用された者についても、すべて橋型起重機の運転関係に配属するとは限らず、最初から機械諸施設の保全検査等を業務とする工務課等に配置される例もある。

またクレーン運転士の資格取得後であつても、橋型起重機の運転に適性のない場合とか、健康上その他の理由で、一方的に工務課、サイロ課など橋型起重機に関係のない職場に転換された例もある。申請人が運転課から工務課に移つた際にも、事前に格別申請人の同意を得てはいない。

なおクレーン運転士から、クレーン以外の技術関係の仕事に変更された場合に、組合が職種の一方的変更はできないとし、団体交渉あるいは抗議を申込んだ事例は過去に全くない。

(四)  技術系社員は、被申請人の職能分類制度では、作業職層および特別作業職層に属しているが、高校卒業直後の新採用者は作業職補助二級に格付けされ、平均して二年後には作業職二級となり、次いで平均三年後には作業職三級に、さらに平均五年後には作業職四級に、続く平均六年後に特別作業職一級に進み、以後それぞれ平均一、二年を経て特別作業職二級に、次いで管理職一級に昇進する。すなわち、特別作業職一、二級は、管理職に進級する直前のいわば準管理職に相当し、右のとおり高卒後一五年以上の職務経験を経ている。

申請人は右の特別作業職一級に該当しており、標準的な場合には今後三年程度で管理職一級に昇進し得る地位にある。

(五)  申請人の入社した昭和二八年当時すでに、被申請人の支店として、川崎、大阪、博多、新潟、豊洲があつた。そして現在までに、従業員の同意を得ずに、他支店への転勤を命ずる例は数多い。

(六)  被申請人の就業規則六〇条には、被申請人主張のような規定がある。

右のような被申請人における採用、その後の職種あるいは職場の変更、転勤の実情と昇進の一般的過程および申請人がその過程上到達している地位に鑑みれば、申請人の職種が橋型起重機関係の技術者というふうに黙示的にもせよ定められたとは到底考えられず、また申請人の職務は現地採用の工員、作業員あるいはこれに類するものとは程遠い実態にあるから、就労場所についての申請人の主張も採用の限りではない。

申請人の場合、同一職種、同一支店での勤務が、事実上長期にわたつたというに過ぎないというべきである。

要するに職種および就労場所について申請人主張のような事項が申請人、被申請人間の雇傭契約の内容となつていたものと認め得る疎明資料はない。従つて、申請人主張のような事項が右雇傭契約の内容となつていたことを前提とする申請人の前記主張は失当である。

四  さらに保全の必要性についての申請人の主張を順次判断する。

(一)  申請人の主張する生活関係の不安定というのは、転勤に通常伴うわずらわしさ、不便さの域を多く出るものではない。

(二)  新潟での生活が申請人の長男の健康に危険を及ぼすことを認めるに足りる疎明資料はない。

(三)  成立に争いのない甲第一八号証の六、八、九の各記載によれば、申請人は昭和四四年一二月以後も毎月手取り六万円に近い給与を得ていること、また申請人本人尋問の結果によれば、申請人は社宅を与えられてこれに居住していることがそれぞれ認められ、新潟での申請人一家の親子三人の生活が窮迫することは認め難い。

(四)  申請人を欠いたことによつて、川崎支部の組合活動が危機に頻する事態に立至るという程の事実を認めるに足る疎明資料はなく、新潟支店においては充分な組合活動ができないとしても、申請人が向後組合活動を進めていくに当つて、致命的な打撃を受ける程のものとは思われない。

(五)  新潟支店での担当職務が技術職である以上、技術者としての不利益も堪え難い程のものとは思われない。

以上保全の必要性についても、申請人が本件転勤命令によつて著しい損害を被る程のものとは認め難く、疎明がないといわざるを得ない。

五  よつて本件仮処分申請は、争ある権利関係の存在および保全の必要性のいずれについても疎明がなく、また保証をもつて右疎明に代えさせることも本件では相当でないと思料されるから、これを却下すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎富哉 矢崎秀一 飯塚勝)

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